| 困窮状態にあっても公的な援助を受けることができない在日ドイツ人に、ディツマン大使基金が援助の手を差し延べてから、すでに30年以上が過ぎました。そのための財源は専ら義援金に頼っています。
そもそもディツマン大使基金の活動は、1965年に死去した駐日ドイツ大使ヘルベルト・ディツマン博士が支援を必要とする在日ドイツ人の為に、1963年秋、最初の援助活動を組織したことで始まりました。1965年に博士が死去した際に博士に捧げられた追悼の辞は、「ディツマン大使を知る者は誰も大使の先見の明を忘れることはない」と、この大使の偉業をたたえております。
その創設以来、現在のヘンリク・シュミーゲロー大使を含め全ての駐日ドイツ大使は、例外なくディツマン大使基金の後援者となり、自宅を集会、行事の場所として基金のために開放してきました。
ディツマン大使基金からの支援は、公的援助を受けることができず、もはやどのような方策も残っていないという状況に至って初めてなされます。これは、援助の対象となるシニア世代の人々にとって、まずはドイツないしは日本の社会保障制度を利用する必要がある、ということを意味しています。公的資金援助が十分でなかったり、それを法的理由から受けられない場合にのみディツマン大使基金が金銭的な援助の手を差し延べます。また、多くの場合このような金銭的支援に加え、パーソナルなケアも非常に重要です。
ディツマン大使基金は、継続的にドイツ人の婦人たちを援助し、離婚によって苦境に陥った母子を支援しています。また、医療費を代わって負担したり、ドイツへの帰国費用を提供したりもしています。また、日本の刑務所に収監されたドイツ人受刑者には寒くなれば暖かい衣服を贈り、また必要のある者には新しい眼鏡を提供することも行ってきました。さらに、数年前に、基金は横浜に墓地を購入し、且つ,埋葬費用の一部を補助してきました。阪神大震災の際には、被災者の窮状を緩和することに貢献しました。
このような支援策の財源は専ら在日ドイツ系企業や個人の義援金に依存しています。ドイツ大使公邸でのガーデンパーティ入場券の販売やそこで催されるトンボラと呼ばれる慈善福引による収入、そして、クリスマスの際の呼びかけに応えて奇せられる義援金を合計すると、ディツマン大使基金の総収入は、年約
400万円となります。しかし、基金が支援のために支出する金額は目下のところ、年500万円程度になり、差額は、過去の余剰金によって埋められているのが現状です。
ディツマン大使基金は、在日ドイツ人によって構成される理事会により管理・運営されています。理事は名誉職で報酬はありません。ディツマン大使基金は理事会のほかに若年層を含めた数多いボランティアによっても支えられています。
3年前からディツマン大使基金は、社会福祉分野で特別の功績があった人々を顕彰しています。1999年5月フランク・エルベ大使から、ブリギッテ・ナガノ博士、ローゼマリー・シュトゥーバウアー氏,ラインハルト・アインセル氏等にディツマン大使基金顕彰章が授与されました。2000年5月には、ビルギッタ・ダルヴィッヒ・ヤジマ氏、インゲボルク・ハース氏、イルゼ・マツイ氏、テーダ・ゾンダーホーフ氏に顕彰章がウーヴェ・ケストナー大使より授与されました。その翌年には、イルカ・エックホーフ氏、モニカ・ゾンマー氏、ミツエ・デラトゥローブ氏ならびに中山良三氏が、ウーヴェ・ケストナー大使から同じく顕彰徽章を授与されています。
もし、ドイツ人の誰かが困窮状態にあることを知ったときは、ディツマン大使基金にご連絡下さい。もちろん、秘密は厳守致します。
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